いっぽ便り

長野県長野市の学習塾 寺子屋いっぽです。

「そうだったのか!」   「あっ、こうかあ!」

 

教育の指導は

教え込むことではない。

 

指導に携わっている人なら

だれでも

承知していることです。

 

でも

実際の場面で

どのように

生徒さんに関わるかは

大きな課題です。

 

昨夜

中1の生徒さんが

「関数」の勉強をしていた時。

 

「そうだったのか!」

と、

つぶやきました。

小さな声でしたが、

心からの声でした。

 

生徒さんが

自力で理解した。

自力で問題を解いた。

 

生徒さんに

そういう実感があったのです。

 

生徒さんが

自ら考えるように関わる。

生徒さんが

自ら気づくように関わる。

 

生徒さんの追求の壁が

越えられるような

効果的な

サポートを心がけたいと思います。

aアール と haヘクタールの教え方

 

aアール haヘクタール は

実際の広さを

イメージ出来るようにします。

 

それをしないと

無意味な暗記になり

単位の変換で混乱😵🌀します。

 

「寺子屋いっぽ」では

「1aは、教室の広さでアール」

とダジャレ言って、

広さをイメージします。

 

教室というのは学校の教室のことです。

私が1メートル物差し📏を持ち

教室をイメージしながら

黒板側(ロッカー側)

窓側(廊下側)を

想像で図ってみます。

 

実際の教室は一辺が

7、8メートルくらいしかありません。

 

ですから、

学校の教室より

少し広くして

一辺を10メートルにした

正方形の広さが

1a(アール)なのです。

 

生徒さんがイメージしやすいように

寺子屋いっぽ では

「1aは、教室の広さでアール」

と言って

ノートに書いてもらいます。

 

教室の見取り図

先生の机や黒板、出入り口の戸

ロッカーなども描きます。

(下手でも良いので、簡単に)

 

そこに、実際とは少し違いますが

一辺10メートル、10メートルを

書き込みます。

 

さらに教室の中央に、

大きく

1a 10m×10m=100㎡

と書くと

単位の変換も

スムーズに理解できます。

 

ですから

1a=100㎡ と暗記しなくても

また、忘れてしまっても

1aは教室くらいの広さくらいだな

とイメージさえ出来ていれば

思い出すきっかけになります。

イメージは記憶の中身を引き出す

ノブになります。

 

また、

教室の一辺が10メートルというのは、

こう考えます。

1メートルなんてことはない。

100メートルなんてこともない。

当然、10メートルになり

10m×10m-=100㎡です。

 

ちなみにここで、

単位の数え方も復習します。

1、10、100、…と。

 

記憶は

ダジャレのような

くだらないことほど、

強烈です。

 

1haも同様のことをします。

さて、

1haを

子どもがイメージするのに

何をつかうでしょうか。

ケンカが減った

 

「いっぽ」に来るようになって

娘さんとお母さんのケンカが減ったと、

お迎えにきたお母さんが

話してくださいました。

 

今までの親子ゲンカの様子を

お母さんと娘さんが

私の前で

やって見せてくれました。

私はつい、大笑い。

 

前はこうでしたと

見せてくださる余裕があります。

どこかユーモラスです。

 

この頃の学校のテストで

95点とったので

親子に余裕が出てきたそうです。

素直さは 学びの大前提

 

吸い取り紙に

インクが染み込むように

学習内容が

染み込んでいく。

 

その大前提になるのが

子どもの素直さです。

 

しかし

それは

子ども個人の資質として

要求するものでは

決してありません。

 

先ずは

子どもが

素直になれる状況を

教師の指導力で

作らなくてはなりません。

 

一言で言うと、

「感動」

「納得」

の体験が勝負です。

 

学ぼうとする子どもの心は

常に

研ぎすませれています。

子どもは

常に

常に

伸びようとしているのです。

 

喉の乾きを潤すように

真理を探求する。

それが

子ども本来の姿です。

 

教師は

それを満たすことができる

存在でなくてはなりません。

 

ただ単に、学問的知識が

あるということではありません。

その子に合った

確かな教育技術

確かに見る、

確かに聞く

適切な言葉遣い

子どもへの敬い。

 

それらがあって

はじめて

子どもの心は

素直になると思うのです。

 

親が絶対してはいけないこと

 

それは

学校の先生の悪口、批判です。

 

塾は不信感が芽生えたら

いつでも

やめることができます。

 

しかし、

義務教育の学校は

それができません。

 

正確に言うと

子どもの前で、

子どもの耳に聞こえるところで

担任や教科の先生の批判を、

絶対に言ってはいけない

ということです。

 

でも、

子どもの不満や困り事は

しっかり聞いてあげてくださいね。

 

うんうん、

そうだったんだね。

それは大変だったね、

苦しかったねと。

 

それだからと言って、

親の心に火がつき

子どもと同じ目線で

激しく批判するような言動は、

子どもの前では

慎んでいただきたいのです。

 

なぜでしょう。

 

教師への信頼を損なう言動は、

お子さん自身が

最も

損害を受けるからです。

 

教育の特性上

信頼関係がないところに

学びが成立しないということは

明らかなことです。

 

子どもが教師をバカにしたり、

否定的に見たりしている状況では、

その教師から

学ぼうとする意欲は

到底起きてきません。

 

時に

大変な勉強も

しなくても良いという口実を

与えることにもなり、

子どもは、

たちまち

スポイルされていきます。

 

勘違いしないでいただきたいのは、

学校や教師への不審、不満を

黙ってガマンしてください、

いうこととは全く違うということです。

 

大人は大人のルートで

話し合い

理解し合い、

改善のために

前進の努力は必要です。

 

要は

大人と子どもが

同じ土俵で

やり合わないことが大切で

大人は大人の、

親は親としての

わきまえ、

演じ方が

必要なのです。

 

それが

大人の子どもへの

礼儀であり、

大人の責任だと思います。

 

子どもの学ぶ権利を

大人が守る

大人が保障するとは

そいういうことだと思うのです。

 

現実には

難しい状況も

多いかとは思いますが、

基本は

この姿勢を貫き

ぜひとも、

子どもの学びを

親の立場から

守っていただきたいのです。

子どもは 急に

 

ある日、

ある時、

急に

子どもは

伸びます。

 

そんな

姿を何度も

何人も

見てきました。

 

こだわりのある生徒さんは、

一見簡単なことを

理解するのに

難儀します。

 

ところが、

いったん納得すると

今までの姿は

何だったのだろう

というくらい

堰(せき)をきったように

どっと知力が溢れ出すのです。

 

「溢れ出す」という言葉が

ぴったりです。

その姿には驚かされます。

 

実は

その子が

特別なのではなく、

子どもたちは

みんなそうです。

 

生徒さんそれぞれの

こだわりがあり、

立ち止まり

停滞、

プラトーがあるからこそ、

そこをぐっとこらえていると

その後

急に

一段上に

ぐぐんと伸びていきます。

 

あのことに難儀していた

生徒さんが

今、

こんなことが

当たり前のように

出来るようになった。

 

子どもはたちは

間違いなく

伸びる力を内側に持っているのです。

 

そう言えば

身長だって

私より小さかった子が

いつの間にか私を追い抜いている。

 

心も身体も大きく

成長している

子どもたちの姿に

日々接し

日々目撃している

私だって、

昨日より今日は

もっと、

成長しなくてはならない。